[考えてみた]心理学を通して考える、社会的弱者・被害者を叩く人の心理について

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何だかタイトルが大学の授業で提出するレポートみたいになってしまった

皆さん、新聞やニュースで人によって起こった事件が報道されるとどんな感情が芽生えますか?

「酷い奴だ!」とか「怖い…。」と思う人が殆どだと思います。

 

デリケートな話題なので色々な意見があっても仕方ないとは思いますが、議論がエスカレートすると加害者だけでなく…被害者にまで責任を問う方もいます。

それは何故なんでしょう?

私も事件によっては「被害者はどうしていたんだろう?」と思う事が時々あります。

 

どうして方はそう思ってしまうのか、気になったので調べてみると…このような状況を心理学で説明しているサイトがあったのでご紹介しておきます。

日本心理学会の心理学ミュージアムで受賞された

人はなぜ被害者を責めるのか?(公正世界仮説がもたらすもの)

人はなぜ加害者への厳罰を求めるのか(エラー管理と加害者の非人間化)

というスライドです。

 

2つのスライドの考え方を通して、よく騒がれている問題はもしかしてこういう心理からくるのかな?という100%憶測で考えたいと思います。

「被害者叩きが起こるのは何故?」とか

「犯人が悪いのは頭では分かってる、でもそれ以上に冤罪が怖い…。」と思っている方は自分の思考のヒントになるかもしれないので、ちょっと読んでみて下さい。

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周知されている勧善懲悪という教育による弊害

皆さん、小さい頃昔話の絵本を読んだ経験ありませんか?

浦島太郎はイジメられていた亀を助けたお礼に竜宮城に連れて行って貰えます、ですが玉手箱を空けてしまい最後はお爺さんになってしまいます。

このように、方は昔話を通して善人には良い事が起こる。逆に、悪人には罰が当たるという教育が根強くされています。

 

これは一見正しい考えの様に見えますが、現実では善良な人が被害に合うとこの理論が崩れてしまいます。

だから、勧善懲悪を信じる方は無意識に「被害者にあった人にも何か原因があったのでは?」と考えててしまうんです。

 

実生活で例えるなら、あなたが風邪を引いたとしましょう。

すると、「風邪を引くなんて自己管理がなってない!」って叱る人が偶に居ませんでしたか?

こういう人に遭遇すると「お前自分の意志で病気コントロール出来るのかよ、やべぇな。」って思うんですが…

こういう考え方も勧善懲悪理論の影響じゃないかと私は思います。

 

「善人が簡単に風邪を引くはずがない!風邪を引くのは自己管理がなってないの悪い奴だからだ!」…みたいな考えになっているんだと思います。

風邪だけなら何言ってんだこいつ…で終わりますが、この考え方を被害者や社会的弱者の方に向けると攻撃的な思想に変わります。

皆さん、生活保護費の予算が減額されるって知ってますか?

 

生活保護にマイナスな感情を持っている方は「働いてない怠け者だから当然だ!」と思うかもしれません。

ですが、生活保護費は様々な事情を抱えて、働きたくても働けない人の為にある施しではなく国民の権利です。

それでも「善良な人間が生活保護費を貰う筈がない、だから怠け者の悪者に違いない。だから減額は当然の罰だ!」って思いますか?

 

こういった考えが根強いと、いつか年金すらも「年金を貰っている老方は甘えだ!」って思う人が出てきそうで心配です。

勧善懲悪を軸に物事を考えていると正しい行動>>>>当事者の事情になり、相手の置かれた状況を考慮する事が希薄になってしまいます。

柔軟な発想を持って物事を考え行きたいですね。

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加害者を無関係な人間だと勘違いしてしまう恐怖と保身

最近だと痴漢が起こると「冤罪の可能性が~」と言う人が叩かれがちですね。

なので、痴漢と冤罪を例にして語っていきたいと思います。

何故痴漢が実際に起こったor起きている事実よりも、先に冤罪の可能性を優先的に考えてしまう人がいるのか。

 

中には「被害者を見下しているんだ!or痴漢したい奴が擁護してるんだ!」と怒る方もいるかもしれませんが…人に寄ってはそれもあるかもしれませんが、ちょっと違うんじゃない?と思います。

何故なら、人は加害者を善人だと思って接するリスクより、最初から加害者だと思って接して危険視するリスクを選んでしまうからです。

それはどうしてか、自分に危害が及ぶ可能性を避けたいからです。

 

老若男女、誰でも傷つくのは嫌です。

だから身の安全を優先して物事を考えてしまいがちです。

それは人として当たり前の感情ではありますが…一度誰かを疑うと、簡単にその人の第一印象を変えられない人っていませんか?

 

第一印象の切り替えが上手く出来なかった影響で、痴漢が事実だったとしても被害者が加害者である可能性を未だ捨て切れないから、

果的に痴漢を擁護してるような言動をしてしまい、冤罪の二次被害を起こしてしまっている状況になっているんじゃないかと思います。

懐疑心は時には無実の人を傷つけてしまう事を忘れてはいけませんね。

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加害者と認定した人に対する攻撃的思考

上記の様に「被害者にも原因があると思っている」or「被害者も加害者の可能性があると疑っている」方は、当然ながら例え被害者でも加害者と同じような態度で接します。

すると、どのような事が起こるのでしょうか?

大抵の方は、事件や事故の加害者に対しては「怒り」や「加害者を罰して欲しい」と思う感情が強くなるでしょう。

 

しかし、この「怒り」や「加害者は罰して欲しい」という感情が肥大化すると、

加害者なら何をしても良い or 何を言っても良いと相手をサンドバックだと思ってしまいます。

このような感情を前にすると、例え明確な証言や物的証拠があっても

「加害者or加害者かもしれない奴を罰したい!」という感情が優先されて、冷静な判断が出来なくなります。

 

ですが、そんな人が今まで叩いていた相手が無実だと分かるとどうなるでしょう?

徐々に冷静な判断を欠いていた自分の行動を自覚し出します。

それは分かってはいても、なんだかんだ自分が一番可愛いと思ってしまうのが人間です。

 

無実の相手を叩いてしまった自分…という悲しい現実を受け入れられず、

「いや、あいつにだって悪い所があった筈だ!」とか

「誤解させるような行動をしたあいつが悪い!」…と自分の間違った行いを正当化しようとしてしまうのだと思います。

 

悪い事をしたら、例え相手が許さなくても「ごめんなさい」と言葉にする、大人になっても大事な事ですね。

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異質な存在に対する恐怖、排除しようとする心理

事件や事故は、自分の身に降り掛からないと映画やゲームの1シーンを見ているような非現実的に感覚を持ってしまう方もいると思います。

そう思ってしまう事にもきちんと理由があり「あの人・あの場所は私or俺とは無関係」という安心感が欲しい心理からくる感情らしいです。

被害者や加害者に対しても同じで、自分はその事件や事故に関わりたくない。

 

とにかく無関係な場所に隔離したい!という気持ちも被害者を叩いている様な発言に繋がっているんじゃないかと思います。

「怖いものを遠ざかるのは当然でしょ?」と思う方も居るでしょう。

ですが、こういった排除したい!という感情で物事を判断してしまうと被害者にとっていじめと変わらない状況を作ってしまいます。

 

事件や事故があると「こうした対策をすれば防げたはずだ!」って言う人がいませんか?

あれも一種の安心感を得る為の言動だと思います、自衛さえしていれば被害に合わないって思いたいんでしょう。

ですが全ての人にエスパー能力はありません、たらればの話は被害者を傷つけてしまう事もあります。

 

起こらないかったかもしれない可能性を探すより、実際起こってしまった現実を少しずつで良いので受け入れましょう。

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まとめ

ごちゃごちゃ書いたので分かりづらかった点はあると思いますが

  • 勧善懲悪を基準に物事を考えると人を傷つけてしまう可能性があるよ、注意しよう!
  • 冤罪を疑うのは被害者が加害者である可能性を捨てきれない懐疑心から、真偽には柔軟に対応しよう!
  • 勘違いしたり悪いことをしたら素直に謝ろう!
  • 事件に対して無関係だと安心感が欲しい人、たられば話は程々に!

…という事が言いたかったんです。

 

今回紹介した心理学を通して、今まで当たり前の感情だと思っていたものが人を傷つける可能性があると知ってショックを受けた方もいると思います。

ですが、自分の身の安全を思う気持ちを少しでも被害者や周りの人に向けてくれる人が増えれば良いなと思います。

今回の記事で( ゚д゚)ハッ!となる部分があった方は、一度自分の考えを見つめ直してみると今までの価値観を整理出来るきっかけになるんじゃないかと思います。

 

人にやさしく!それではっ!